私た多重債務者になるまでのあらすじ

学生から社会人になり、お金のことをろくに勉強もせず放課後のアルバイトすらまともにしたこともない私が多重債務者になるのは容易なことでした。いや、必然だったのかもしれません。
今考えれば、本当に堕落した生活を送っていたと思います。
最初の借金は社会人になって一か月した頃でした。借金といっても十数万円ほどのローンでした。
私自身、そのころからお金を使うことの重要さというものを解っていたつもりでしたが今思えば幼少期に、小遣いを貯めて何かを買ったりしたことは一度もありませんでした。

 

 

いつも、大金が舞い込んできには一気に何かを買ってしまい現在では思い出の品は全く残っておりません。
そのような間違った感覚で大人になってしまい、ついに初任給をもらってからすぐにローンを組んでしまいました。
しかし、そのローンも最初の1、2回は自分で払いましたが、その後は親に投げつけてしまいました。その頃から私の返済能力には多大な問題がありましたが、自分ではそのような感覚は全く無く、その後は車のローン、クレジットカード、ついにはサラ金にまで手を出してしまうのでした……
一番多い時の債務はおそらく500万ほどあったと思います。車のローンを入れると、合計で7社ぐらいの借り入れがありました。当然、月の支払いは出来る訳もなくいつもどこかの支払いが滞っておりました。

 

 

しかし、支払いの優先順位(もちろん全ての支払いが大事ですが!笑)を考えると車と、携帯は止まっては困るため、その二つは常に払っていたように思います。
次に大事なのは、会社に連絡が来ると一番困るサラ金でした。
しかし、最初の頃は支払いが遅れると携帯に電話が頻繁に掛かってきていたので、無視していれば問題は無いと思い、一日に何度も掛かってきていた電話を平気で無視していました。

 

 

しかし、それが数日〜一週間ほど続くとついに個人名で会社に連絡が来るようになりました。
最初は事務員の方も連絡があったことを私に親切に伝えてくれていましたが、だんだんと私のことを怪しんでおりました。そうなると、サラ金にも支払いをしないわけにもいかず、その月の支払いを何とか『利息分のみ』済ませるのでした。そして、いよいよ生活は苦しくなり、一人暮らしだった私の食生活はボロボロでした。
といっても毎日のビールだけは極力欠かしませんでした。いや、欠かせなかったのです。
現実逃避するために一日に数本以上飲んで、時には近所迷惑なことにアパートでの部屋でギターをかき鳴らして忘れようとしておりました。そのような毎日が過ぎていき、当然仕事にも身は入りませんし、常に借金のことが頭の中から消えることはありませんでした。そしてついには重要なライフラインである電気が止まってしまうのです。しかし、水道だけはなかなか止まりませんでした。

 

 

余談ですが、水道は結構重要で、命に関わるものなので支払いが滞ってもしばらくは止まらないのだそうです。当然電気が止まってしまうとこれまた色々と問題が出てくるため、それもすぐに支払いました。
そして、そのうちありがちな死を意識してしまうのですが、私のように常に親のスネをかじっていたような甘えた人間には『自らの死』という選択すらできないのです。

 

 

やがて上司にも私の借金のことはばれてしまい親に人生初の土下座をするのです。
実はその時、全ての借金を話すことが出来ず、一部のみを親に肩代わりしてもらいました。傍から見ると本当に恥ずかしく情けない姿だと思います。しかし、残っていた借金も結局は後々二度目の土下座で肩代わりをしてもらいましたが……何と、これでは終わらず、実はまだまだ最後に残っていた借金があり、私は両親に三度も土下座をしてしまいました。いや、させていただきました。そして、数年が経ち今では二児の父親となり、マイホームで幸せに暮らしております。"